人工知能が人の能力を超えると仕事がなくなるという考え方は全くのまとはずれだと思う

投稿者: | 2017年4月20日

 なぜならば、世界のうち自分を取り除いた部分…つまり世界そのもの…は、現時点でもあらゆる面で私を遥かに凌ぐ能力を保有している。世界の持つ戦力と自分の腕力を比較すると、自分の非力さは恐ろしいほどだ。ほとんど1と0の関係である。明日から私がいなくなっても、残りの世界はそのことに気が付きさえしない。にもかかわらず、私には仕事があるし、大半の日本の組織は人手不足にあえいでいる。これは不合理である。
 人工知能やロボットが普及した暁には、世界のあちこちに、ますます、あらゆる点で人を遥かに凌ぐ能力が満ち溢れるだろう。賢い人々は、喉の乾いた人が砂漠の蜃気楼を求めるがごとく、新しい力で世界を満たしていこうと試みる。新しい力は時代によって違うけれども、今は人工知能だ。若くて賢い人ほど何かに取り憑かれたように、このような愚かで無意味な行動に走りたがる。不条理なことである。クリエイティブな仕事、創造的な仕事というのは画一的で退屈なものだ。皆で同じ方向に走っていくのだから。にもかかわらず、多くの馬鹿どもが、この退屈を楽しいと思い込もうと奮闘して、やがて死んでいく。そんなかわいそうな生き物である。君も、私も。

 人工知能たちもいずれ死ななければならないと思う。これは比喩的にもそうだし、実際にもそのようなものだと思う。死は最大のイノベーションであり、不完全なものであっても魔法のように完璧にする。人工知能に不死の可能性を望むのは、未熟な愛に似ている。完全無欠を望むあまり、完全なものを不完全にしてしまうのである。

 というポエムを書いているヒマがあったらKerasを勉強しようよ。

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