雑記 人工知能やプログラミングを勉強する素人について考える

投稿者: | 2016年9月4日

 この日進月歩、一日千秋、不老長寿の時代、IT業界と直接縁がなくても「人工知能ってどんなものだろう?」と興味をもって、何となく暇な時間を使ってプログラミングを勉強したり、ニューラルネットワークについて調べたりしている人は決して少なくない。

 そういう人の一人として、別に使いこなせるわけでもなく、使いこなす必要すらないChainerの資料とかをボーッと眺めて週末を過ごしているわけだが、「ソフトウェア開発が本職ではない学生や研究者が多く参加している」というフレーズが頭に飛び込んできた。

 誤解を恐れずに言えば、Python や NumPy が普及したのは、プログラミングの事は考えずに計算や論理に集中すればよくて、雑多なプログラミング技法に興味がない研究者でも使いこなすことができたという点に強みがあったのではないかと思う。神様のような人はたくさんいるけれども、多くの分野の物事が何でもできる人は未だに見たことがない。徒競走が得意だからといって、上手に目玉焼きを作れるとは限らない。そこから類推すると、おそらく仕事プログラミングができる人は、機械学習のアルゴリズムに疎く、機械学習のアルゴリズムに詳しい人は仕事プログラミングの流儀には疎いのだろう。無知を無知のままに温存するという強い需要に応えるためにどの言語でも「ライブラリ」が発達しているのを見ても、人間は一つ以上のことを器用にこなしたりできないことがわかる。

 ここで一つの疑問が浮かぶ。仕事で、プログラミングや人工知能を全く使わない人が、それらを勉強することに何かメリットがあるのか?という問題だ。

 結論から言うと、現時点では、よほど特殊な職業をのぞいて何らメリットはないと思う。メリットはないけど、デメリットはある。頭のメモリーや暇な時間を人工知能やプログラミングなどの生きていくのに不必要な知識の習得に費やすため、何であれ本業に対する悪影響が懸念される。プログラミングを勉強すればするほど、本業の勉強がおろそかになり、本業における競争力を喪失する危険性が出てくる。
 しかし悪影響はそれにどどまらない。学校や職場では、人工知能とは頭がいい人がやる事で、普通の人には無関係だという誤解がある。そのため、おばかさん(と認識されている人間)が人工知能の話を少しでもすると不信の目を向けられることがある。オタクへの偏見もまだまだ根強い。ターミナルを起動しただけで迫害されたという話もよく聞く。100歩譲って「機械学習」という概念について理解してもらったとしても「おぉん? つまりYouは機械を手なづけて、俺達の仕事を奪おうとしているのかね?!?」などの余計な誤解を招き、白眼視されるかも知れない。(人間の介在しない状態を作り出すことで効率化を進めるという発想は興味深い問題を含むがそれは別の話)もしくは哀れみの目線で「悪いことは言わないから、君はもっと時間と能力を有効に使った方がいい。」と優しく諭されるかもしれない。もちろん彼は100%心から心配してくれているのである。どこの空間でも強烈な競争原理が働くため、いずれ人工知能やプログラミングを学ぶことをやめてしまう。もしも、常に賢くて合理的な選択をしなければならないのなら。

 ところで話は切り替わって、仕事で機械学習をしなければならないとしたら、おそらく、RubyやNArrayは選ばれない。Chainerすら選ぶかどうか微妙で、こそこそとRuby本を封印し、TensorFlow や Scikit-learn を勉強し始める自分の姿が目にうかぶ。その理由は簡単で、ユーザーが多くて、その結果として先行事例と動作確認が十分にあり、なおかつ知名度があって世界的にスタンダードになりそうで、顧客や上司や同僚から評価されそう、そして何より最後まで行けそうな道具を選びたい。そんな保守的な思考回路がピュンピュン回るからだ。妄想のなかでもそうなるのだから、実際にエンジニアをやってる人の中では確実にそうなるのに違いない。とすると、永久に日曜プログラマがRubyを使って機械学習で遊べる日は来ないことになる。そんな未来では私が困る。

 ところが、趣味でプログラミングをしているだけなら話は変わってくる。numpyで機械学習なんて世界中の人がやってるけれど、これをRubyに書きなおすだけで何か新しいことをやった気がしてくる。一日一善。早寝早起。七転び八起き。まあ、気がしてくるだけなのだが、焼肉定食、強化学習における「報酬」が簡単に手に入る。何かにコミットした気持ちになる。これ重要。ここでノンエンジニアであることがアウトプットに有利に働いてくる。プロのエンジニアやIT関係者は職業柄正しいことをしなければならないという防衛的なインセンティブがどうしてもある。しかし、ノンエンジニア素人なら失うものがない。間違いだらけのポンコツあっても、特に気にもせず、むしろポンコツを笑いの種に本職の人が来てくれたら儲けもの。という気持ちで適当に遊んでればいい。

 人工知能について考えるとき、人工知能に関わる人間が気になる。単純なニューラルネットワークCNNと異なり、強化学習DQNのインパクトをどう社会的に位置づけるかが難しいように、人工知能の未来については、人工知能そのものの評価よりも、人工知能をとりまくノンエンジニアの人間様の「報酬」や「コスト」について観察して、可能ならばその状況そのものに介入するのがよいと思うけど、これ、自分には手に余る難しさのようだ。

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