診断について考える

投稿者: | 2016年6月27日

医療と人工知能について

人工知能もだいぶ流行しています。遅かれ早かれ似たような記事を書く人が現れると思いますので、「拙速」ではありますが、さっさと書いてから修正していこうかと思います。内容は今までに考えてきたことの焼き直しです。

医療はあまりおもしろくない(または面白くあってはいけない)

 まず最初に、表明しておきたいと思います。医療はいつも「死」に向き合う人々とともにあるものです。そこは「悲しみ」や「強い怒り」がありふれている場所です。そのため、医療はあまりおもしろいものではありません。面白いものは、スタッフや患者の地道な日々の営みのなかにある些細なコミュニケーションや、ふとした瞬間に感じられる驚きとユーモア、または医療の一側面を美しく切り取ろうとした医学の中にあり、「医療」そのものには面白い要素はとても少ないということを正直に認めなければなりません。だから、まちがっても「医療 + 人工知能 = 面白い」などと安易なことを思わないでいただきたいのです。もちろん、そういった部分もあるでしょう。しかし、これが誇張されると医療の本当のところからどんどん遠ざかってしまうような気がして心配です。

シンギュラリティなんてとっくに来てる

 さて人工知能の話にかわります。

 人工知能が発達すると、SFの世界のように「シンギュラリティ」が来ると信じている人もいます。けれども医療の世界をとぼとぼと歩いていると、私には次のように感じられます。

①シンギュラリティはすでに来ている。私達は、人間を歯車としてつかう大きな人工知能の内部に住んでおり、CPUやGPUを使う人工知能は、人類とともにある人工知能のごく一部にすぎない。社会空間や関係性のなかに有形無形の知を蓄積するタイプの人工知能が昔から存在して、縄文時代から現代まで、人類の頭脳に本質的な変化がないにもかかわらず、その全体的な知的能力の向上に大きく貢献してきた。このような人工知能は大きすぎて人工知能であることを私達が認識することを困難にしている。しかしCPUやGPUをつかう人工知能と仕組みはあまりかわらない。

くいしんぼうのあおむしくん (こどものとも傑作集)
ぼくらは人工知能の「中」にすんでいる

センサーと人工知能はたぶん同じもの

人工知能はフラクタルな構造を形成する

②「人工知能」とは、センサーである。センサーとは、人工知能である。センサーはフラクタルな構造で積み重なって、一つの人工知能を構成する。また人工知能は細かくみると一つ一つのセンサーに分解することができる。人間は、単純なものを「センサー」とよび、複雑なものを「人工知能」とよぶ。しかし両者は同じものである。打診(音波)、聴診器(音波)も、エコー(音波)はいずれも音波という同じ情報源をあつかうセンサーであり「人工知能」である。Deep Learning もこれまでに多数生み出されてきた「人工知能 = センサー」のなかの一つであって特に変わったものではない。

人間の認識能力の切り札:2次元画像

どのようにして「人工知能」が医療現場で使われてきたか

③ それにもかかわらず、Deep Learning が、すでに身の回りにありふれている「人工知能」と大きく異なるように感じるのは、私達は得られた情報を、画像データに変換して、「人間の2次元画像データに対する高度な識別能力」を情報処理の”切り札”として知能のフラクタルの最終段階に使用してきたためである。たとえば「エコー」とは超音波の情報を、人間が識別しやすいように「2次元画像」データに変換したものである。元データである「音波」を「2次元画像」に変換しているのはCPU/GPUであり、そういう意味ではすでにAutoencoderのような意味合いでのコンピュータを使った人工知能が普及しているのである。rawデータの「超音波」のままでは人間の高度な識別能力が使用できないからだ。(では、もしも人間ではなくコウモリだったら?その場合は エコーは、まるで聴診器のような仕様になっていたはずだ。彼らにとっては二次元画像よりも、超音波のrawデータの方が簡単に識別できるため、むりやり超音波のデータを2次元画像データに変換する必要などなかっただろう。)

CT画像も同様で、人体をスライスされた状態でみたり、血管だけを抜き出した状態で見ることができる。こちらもコンピュータが元データを、人間が解析しやすいように変換しているのである。しかし、聴診器も同様に、小さな音を人間が聞こえやすい範囲に正規化し、不必要な低音域や高音域をシャットダウンというパーセプトロンと同様の機能をもっており、エコーやCTのようなCPUを使う画像診断装置のみが新しい人工知能というわけではない。その違いは、人間からみて十分に複雑か、単純かの差でしかない。Deep Learningは2次元画像データに対しても、Layerを追加することで、任意の複雑さをもつ識別が可能になり、人間以上の精度を出すことができる。ただし、ICTにより情報量が増加するため全体的には楽にならない。

感情に接続するとどこに収束するかわからない

④ 最終的には人間の「感情」を評価してフィードバックがなされる必要がある。このフィードバックが繰り返される先に私達がどこに向かうかはよくわからない。これが未来の人工知能に対する不安である。ただし、今までのCPUを使う/使わない、大きな/小さな「人工知能」も決してうまくいっていたわけではない。

感情

「人工知能」の力は現時点でも人間を超えており、人間の機能のなかで感情をもち、これを伝達できることがもっとも高い価値を生んでいる。人工知能の能力はとっくに人間を超えている。縄文時代から現在までの人間の能力の進歩を考えれば、いまの人間の能力の大部分は「人工知能」の力を借りていることがわかる。

人工知能の弊害が予想される

 CPU/GPUを使わない人工知能は、「官僚化」する。おそらくCPU/GPUを使う人工知能も官僚化する。最終的には人間の幸せに基づいてフィードバックが働くべきなのに、あらぬ方向へ「学習」がどんどんおし進められ、変更が難しくなる。パラメータが予め決められた方向にどんどん最適化されるが、全体としては望ましくないことになっていく。CPU/GPUをつかわない人工知能ではよく見られることだ。
 もしくはパラメータに直接アクセスして、数字を良くするようなことが行われる(酒飲みの人工知能)
 そうなったときに既存の人工知能を変更することは難しく、新しく作りなおすしかないかも知れない。

あまり文章がうまくいかないし、コウモリの例えなど突飛すぎるので、何が言いたいのかよくわからないかも知れません…。救急外来を想定した図を添えます。図は適当なので、少しずつ修正していきます。とくに強調したいのは、シンギュラリティがこれから来るなどと言ってるのは妄想であり、ディープラーニングも既存の技術進歩と大きな差がないと思われることです。ただし、既存の技術進歩が人々の生活を大きく変化させてきたのと同程度には、ディープラーニングもいまの社会を激変させる可能性はあるでしょう。

人工知能の方面から考えていきたいことは、一つ一つの情報が、どのようなカタチをとるか。整数なのか、実数なのか、ベクトルなのか、行列なのか。
媒体はなにか、生体か、音波か、X線か、フィードバックや学習がどのようにして起こるか、といったことです。
そして、人工知能というものが、いかにフラクタルな構造をしているかということです。

医療の方面から考えていきたいのは、一体全体これは何なのかということです。また、この図にはいくつもの大変大きな欠点があることがわかっています。しかし、欠点があるということが感じられるだけで、それが何なのか現時点では私にはモヤモヤと曖昧にしかわかりません。人工知能の世界は日進月歩ですが、医療の世界は1世紀しても、きっとあまり変化がありません。たとえどんなに技術が進んでも。だからゆっくりと考えることもできるでしょう。

fw

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