有史以来ありふれた人工知能、パーツとしてのCPUに出会う ← 今ここ

マイブームが鎮静化しつつあるAIについて、高校数学もよくわかっていない素人が断定的な意見を書いてみる。

「バスそのものに興味があるわけじゃないんだ。バスに乗り遅れたくないんだよ」

 人工知能のアルゴリズムはわからない。

 でも、それはきっと多くのITエンジニアにとっても同じだと思う。そうじゃないとPythonのScikit-learnのような機械学習ライブラリや、Chainerのようなdeep learningライブラリがこれほどに人気になる理由がつかない。

 もしも、エンジニア達が皆アルゴリズムを理解しているなら、自分でコツコツ実装したくなるはずだ。そうしない、ということは、知識を自分のものにしている人は多くないということだ。
 アルゴリズムを効率的に学ぶためには、アルゴリズムの良い悪いを感じる能力が必要で、そのためには「多くのアルゴリズムに触れて習得している」もしくは「改良アルゴリズムを自分で生み出せるポテンシャルをもっている」ことが必要だと思う。そして、そんな時間とポテンシャルを持っていない。
 追記:と思っていたが、SlideshareのおかげでCNNの原理ぐらいは理解できる便利な時代になった。

「バスに乗りたい理由は何だったっけ?」

 OK。アルゴリズムを理解できないとしても、有名なアルゴリズムを使えたら、何かいいことができるんじゃないかと思う。

 例えば、サポートベクトルマシン、Random Forest, NearestNeighbor, GPUを積んでいれば Deep Learning。
 そういった「小道具」をライブラリから呼びだせばいいと思っている。電子レンジのリモコンのボタンをポチッと押す気軽さで。

 今ならまだ、エンジニア以外でプログラミングを齧っている人が少ないから、ちょっとデータを詰め込んでスイッチを押すだけで、素敵な「魔法」が使えるようになる気がする。今やらなければ、他の誰かに追い抜かされて、もう二度と追いつけない気がする。

 でも、データを詰めて、リモコンのスイッチを押してチンする作業って、実際は誰にでもできる仕事なんじゃないだろうか。そんなマックジョブを君がやらなきゃならない理由があるのだろうか。それは本当にやりたいことなの?

※こんな書き方をしましたが、IT業界ではないセクションの人々が、各々のデータを大切にして人工知能を使った新しい働き方をよく考案するのは大事な仕事だと思っています。

「人工知能が完成した。これで俺達は楽になるんだ。」という夢

 人工知能に対する「やる気」って、案外こういった素朴な感情から生まれていると思う。でも、人工知能が発達しても楽にはならない。人工知能がいくら発達しようが、我々人類の労働環境は改善しないし、仕事も減ったりしない。他の人も人工知能を使って仕事をするわけだからね。

 むしろ、世の中の複雑性を増やして、保守の手間を大幅に増やすということも考えられる。交代で当直して、延々と保守とメンテ作業が延々と続くとしたら悪夢だね(プログラミングという名の地獄 GIZMODO)

 医療セクションにいる人間にも、それが痛いほどわかる。どんなに医薬品が進歩しても、どんなイノベーションがあっても「死」がある限り仕事は減らない。イノベーションが起きると、いっときだけ地平線が少し広がるように感じられる。しかし、暫くすると、すぐに追いつかれる。そして感覚が麻痺して、以前と違いがわからなくなる。それでも私達は前に進み続けている。

「人工知能は、コンピュータとCPU/GPUを使うんだ」という偏見

 いつになったらコンピューター医師(Drアルゴリズム)は、人間の医師を超えるのか。

 この問に対する私の回答は「私達はすでに人工知能が支配する世界に生きているけど、気が付かない。」だ。

 人工知能という用語は「コンピュータを用いた分類器」という狭い定義で使われているけれども、それが誤解を呼んでいると考えている。あたかも、コンピュータとCPU/GPUを使った構造だけが、人工知能という名前に値すると思われているけれども、どうしてそんな事になってるんだろう。

 もしも人工知能が素直に進歩した場合、すぐには医師の判断を置換するものにはならず、まず外部のサブシステムをひとつずつ埋めるように発達すると思う。

 どういうことかというと、人工知能は、診療ガイドライン作成したり、CT画像を自動診断したり、医師国家試験を解いたり、人間の数百倍の頻回で生体モニターや採血結果をチェックすることができるようになるかも知れない。

 その結果、人工知能は人間の診断能力をはるかに凌駕するかも知れない。

 それらは素晴らしいけれども、今までの医療の歩みと大きく変わらない。

 ガイドラインの生成は、医療という広いフィールドの、とても狭い範囲の仕事だ。それをコンピュータが今より早く綿密にやれるようになるという話にすぎない。
 これは、素晴らしいけれども、ワクワクするような話ではない。「ガイドラインよりも正確な知識をもってる医師は一人もいない」「『今日の治療指針』は平均的な医師よりかなり優秀」「Pubmedは地球上の誰よりも優秀」という現状とさして変わらないからだ。それに、仕事のハードルが上がって喜ぶ人間はいない。

 ガイドラインの作成は高度な知的活動で、モニタの頻回チェックはそうではないと考えられているが、実際は恐らく逆だ。

 IoTモニタ頻回チェックによるイノベーションは、ずっと大きな意味がある。

 けれども、そのような人工知能も、情報を集めて変換しあらたなモダリティを生み出すという意味では、聴診器と大きく変わらない。逆に言うと、聴診器や虫眼鏡は一種の「人工知能」と言ってよいと思う。(聴診器は人工知能と言っても意図が伝わらないと思うので新しいエントリーを書きました。)

人工知能は脳の内部ではなくて、人間の外部にある構造を置き換える

 医療の世界では何かイノベーションがあると、それはいつでもアウトソーシングされる。血液検査が発達すればそれの成果は生化学検査室に隠される。レントゲンやCTは放射線科の担当領域になり優秀な放射線科医が読影を担当する。心臓エコーは優秀な技師がレポートを作成する。薬は薬剤部が確認する。それは、一種のブラックボックスだ。

 患者の一部を測定して、結果だけがreturnされてくる。どんな項目を調べ、いくつ次元があって、どんな処理をしているのか、必ずしも正確に知る必要はない。医者も患者も。

 これらの検査室は、一つ一つが人工知能の構造をしている。小さい人工知能を、集まってネットワークを形成して、一つの診断を形成する。

 こういった、コンピュータが介在しない人工知能は、社会の至るところに存在している。多分縄文時代頃からあると思う。それはあまりにもありふれているため、人工知能であることすら意識しない。

人間の手元に残るものに対する洞察が大切っぽい

 人工知能が、人間の外部を置き換えることはわかった。では、人間の中には何が残るの?という問は難しい。

医師国家試験を合格できる人工知能を作ることは近い未来達成されそうだ。この人工知能は、各検査室から上がってきた情報を適切に処理できるかも知れない。でもそれだけじゃ全く足りない。

 例えば、空間認識を駆使した治療行為は、医療の本質じゃないけど「手術」や「手技」という形で今でも人間の手元に残っている。(メスや手術ロボットは人工知能なのだろうか?)

 それから「問診」や「診察」を含めた「患者とのコミュニケーション」、「治療目標を共有すること」、ひいては「勇気づけること」も人間の仕事である。(あと医療リソースマネージメントも)

 これについては下の本が大変素晴らしいのでオススメです。(ただしこの本に出てくる医師は超人ばかりで、著者のグループマン先生も人間心理に対する洞察が深すぎるので、一般の医者がこんなにすごい人ばかりと思わないでほしい)

追記:と思っていたが、CNNをそのまま三次元データに適応するだけで、すぐに人間を超えるCT画像の異常検出が実現しかねないので、考えを改める。

シンギュラリティは既に訪れている。数千年前に。

 人と違うことを言えばよいわけではないが、CPUを使わない人工知能を認めると、そういう風に言ってもよいと思う。

 縄文人の賢さを1とすると、現代人の賢さは多分10ぐらいある。もちろん縄文人と現代人で脳の構造が違うわけではないから、10 – 1 = 9 の大半は社会の各地に配置されている「CPUを使わない人工知能/CPUを使う人工知能」によって補われたものなのだ。
 そう。人工知能ははるかの昔に追い越してるのである。人類なんか。

……

こういう中二っぽい文章を書くのは、恥ずかしいね(恥)でも書いておかないと前に進めない
。。

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